ルクセンブルク大学へ来た留学生が住む寮はキッチンを共有する形がほとんどだ。そこで国際交流が生まれる。週末の夜ともなれば、そこかしこでパーティーが開かれるらしい。
私の滞在する宿は学生寮ではないのでパーティーはない。ただ、交流はあるので、その様子をお届けしたい。
南アフリカ共和国からやってきたルシエン。彼とは夕食を摂る時間帯が何度か重なり、”how are you?”から始まる軽い雑談を交わしてきた。彼はフランス語が堪能だが、英語は勉強中ということだ。あまり会話も続かないので、料理や飲み物をシェアして親近感を持たせたいと私は考えていた。
買ってきたルクセンブルク産白ワインを見せて、乾杯でもしようかと伝えると”white wine!” と声を上げて喜んでくれた。よほど白ワインが好きなのだろうか、後日私がワインを手にしたり、飲もうとする素振りを見せると、必ず”white wine!”と楽しげに声に出すようになった。
少し考えて私は気づいた。これは白ワインそのものよりもwhite wineという単語の発音が気に入ったのではないか、と。alliterationである。事実、彼は紙箱の赤ワインばかり飲んでいる。大きな箱についた蛇口をつまむとワインが注がれるのだ。
alliterationとは単語の頭でrhymeが起きる現象を指す。こちらの大学で履修しているPoetry and other artsという授業で得た知識だ。この講義は文学と芸術の関わりを実践的に学ぶ。教授の人柄がとても良い。この講義や芸術の話はまた今度できたらいいと思う。
数日後、私は夕食にマカロニを用意した。鶏肉とズッキーニを刻み、塩胡椒で味付けしてオリーブオイルで炒めたところに、カマンベールチーズを溶かしてソースとした。
するとキッチンへ彼がやってきた。そしてこう言ったのだ。
“Do you like magic?”
これには驚いた。どうして私がマジックが好きなのを知っているのだろう。私の部屋の机に山積みされたトランプカードを見たのだろうか。人よりマジックに多少思い入れがあるのは確かなので、すぐに答えた。
“Yes!…? but why?”
すると彼は棚から1つの調味料を出してきた。
“This is maggi.”
アフリカの調味料なのか?
“Try. This is very good for your health.”
フランス語訛りなのでhealthのhは発音されず、’ealth。私のこともいつもko’eiと呼ぶ。マジックなど全く関係なく、彼も料理をシェアしようとしてくれたのだ。 食卓の上には、「マジ」と呼ばれた白い粉、それに続いて「アロマ」という液体が置かれた。未知の調味料を前にして一瞬戸惑ったが、断るわけにはいかず試してみることにした。
試してみるよ、と伝えると彼は私のマカロニに粉を振りかけ始めた。「試す」というのは、皿の端の方のマカロニにひとかけして、味を確かめる程度の分量を想定していた。ところが、彼の手は留まることを知らなかった。
続いて、「アロマ」の方も満遍なく降りかかっていく。 マカロニ全体から立ち上る匂いは、かすかに醤油に似ていた。 食べてみると、味は悪くない。
しかしこれはかけすぎだ。
私は3口ほど食べると、醤油に似ていて美味しいねと告げ、残りはタッパーに詰めて冷蔵庫へしまった。
その後、そのマカロニの姿を見た者はいないという。
さて、食文化を通じて仲を深めることができた私たちはスナックに行くことになった。これはマカロニが失踪してからからさらに数日経ったある夜の話だ。彼の仲間が集う場所だと聞いた。
ルクセンブルク・シティの夜は静かだ。彼に「どこへ行くのですか?」というフランス語を教わりながら歩いた。 スナックには彼の親戚がいるのだという。店に近づくと、私はすぐに目的地に着いたとわかった。正面はガラス張りで開放的だが、店内は暗い。アフリカ系の人々しかいない様子だ。アフリカ人のコミュニティが夜な夜なここに集合するのだと想像した。 アジア人が1人お邪魔していいのか、と考えたが彼に着いていけば平気だろう。
ルシエンに続いて店に入ると、看板娘と言った感じの店員に迎えられた。彼女とルシエンは顔見知りのようだ。「あら〜いらっしゃ〜い」「お〜来てやったぜ〜」みたいな感じで言葉を交わし、続けて頬を触れ合わせて挨拶をした。これは日本では見ない光景だ。右、左、右の順で触れ合わせることを確認したので、私も同様に挨拶をした。 これですっかり心を打ち解け合えた気分になった。さらに、店を出て行こうとした男たち3人とも通り掛かりに握手をした。一人に “japonaise?”と聞かれたので、ジャポネであると伝えておいた。
ルシエンと彼の仲間たちと過ごしながら、店の様子を観察した。店へ入ってきた者は先客のテーブルを回り、初対面の人とも握手をする。この店にいる人はみんな仲間という雰囲気だ。私も何度も握手をしたが、最初の握手で違和感を覚えた。手を離す際に、互いの指先をつまむようにして別つのだ。全員そのやり方だ。これはアフリカの文化なのか、このコミュニティの文化なのかわからないが、独特だと感じた。
また、入店した者全員が頬を合わせるわけではない。握手や言葉の挨拶だけで済ませる者もいる。親密度によって挨拶の仕方も違うのだろうか。
日付が変わる頃まで彼と仲間たちは盛り上がっていた。異文化の空間に居ることは決して退屈ではなかったが、宿に戻りたいという気持ちもでてきた。私は残っていたシャンパンを自分でグラスへ注いで飲み、早めに空にした。後から知ったが、この日はルシエンの誕生日だったらしい。記念日に開けたシャンパンのほとんどを飲んでしまったということになる。
宿への帰り道を歩きながら、二人とも酩酊状態にあったが、”You are my brother”という言葉を頂戴した。仲間を家族のようにもてなす文化は嫌いではない。
いや、とてもいいことだ。
- 追記
インターネットで軽く調べてみて、いくつかわかったことがあるので記しておきます。
ルシエンの持っていた調味料は世界的に有名な「マギー」というものでした。開発者のジュリアス・マギーさんも興味深い人物です。
チークキスは欧米で広く行われる挨拶の仕方です。右、左の二回だけ頬を合わせる、頬を合わせるときに唇で音を出す、ハグで締めくくるなどバリエーションがあるようです。
南アフリカでは握手をした時に相手が手を離すまで待つそうです。互いの指先をつまむことも、握手をすぐには終わらせないという意味で関係しているのかもしれません。
文中では便宜上シャンパンと書きましたが、正確には、シャンパーニュ地方以外で製造されたスパークリングワイン、Crémantです。
今回お邪魔したお店に行ってみたいという方、どうぞ↓
※彼に関するブログへの投稿は許可取得済みです。
One Reply to “はじめてのチークキス”