パリ、曇り後雷

欧州に半年暮らし、日本との違いを感じることは多い。いや、多いどころではない。全てが違うと言っても過言ではない。共通点を挙げるとすれば、どちらの人間にもだいたい目が二つ付いていること、くらいのものだ。そんなの当たり前だ、というあなたの声が聞こえてきそうだが、では他に共通点はあるだろうか。信号が赤なら車道を渡らない。また当たり前のことを、とお考えだろうか。ところが、信号の色が変わるまで立ち止まっているのはあなた一人だけという状況が訪れる街もある。そのような街の一つがフランスの首都パリだ。

新年2020の1月はパリで過ごした。フランス人は煙草が大好きだ。煙草を吸う行為を心からかっこいいと感じているらしい。隣国ルクセンブルクでもその精神は感じられる。路上喫煙、歩き煙草は常識だ。早足で歩きながら咥えた煙草に火をつけるサラリーウーマンなどざらにいる。すぐそばにはやっと歩けるようになった年頃の男の子が母親と手をつないでいる。そしてその母親のもう片方の手には火のついたタバコが挟まっている。ベビーカーを押しながら駅のホームで喫煙している人もたまに見かける。日本で同じことをすれば、ツイッターが大盛り上がりだ。

パリのバーテンダースクールでも、一日の終わりには講師も生徒も仲良く一服談笑といったところだ。パリにおいて、バーテンダーという職種はストリートカルチャーと馴染みがあるように感じられた。それはタトゥーに対する寛容さにも表れているように思えた。

いつも優しく声をかけてくれるクレア先生もカーディガンを脱げば、右腕を覆う鮮やかなタトゥーが目立つ。このたった一文にも私が日本で身に付けた固定観念が認められる。読者に「タトゥー」が「優しさ」とは離れた概念であると刷り込むつもりはない。

ある生徒が彼女の手首を指し示した。

「そのタトゥーにはどういう意味があるんですか?」

「こっちの手首には太陽、こっちには月を入れたのよ。気に入ってるわ、いいでしょう。」

「へえ、いいですね。」

先生のタトゥーに興味を示した彼は、スイスから来た体格のいい男の子だ。

ズボンの裾を捲り上げ、ふくらはぎと足首のあたりに入った小さな文字を見せてくれた。

「いやぁ、こいつはすごいんだ。タトゥーまで入れてりゃ俺がどのくらい好きかわかるだろう?」

小さくて読めなかったが、それは好きなアーティストの名前を彫ったものらしい。

タトゥーかあ、僕には一つにも入ってないなあ、などと感心していると、女の子が近寄ってきた。

「私ここに漢字のタトゥーを入れてるの。おかしくないか見てよ、これ」

その背中と腰の辺りには、

    雷

    神

と彫られていた。

おかしくないよ、かっこいい、素晴らしい、と褒めてあげる安堵と喜びの表情を見せた。

タトゥー話に花を咲かせるその様子は、まるで小学生がお小遣いで手に入れたキラキラ鉛筆を見せ合っているようだった。純粋さ、わくわく感、共感、称賛。タトゥーを入れていなくても、不思議と明るい気持ちにさせてくれる空間だった。

スイス人の彼と初めて会った日に、食料を求めて一緒にスーパーへ行った時のこと。彼は私に食品業界、特に食肉業界がいかに非人間的な行いをしているかを説いてくれた。だから肉は食べないようにしているのだと明かしてくれた。その言葉には、これから近所のケバブ屋さんに私と毎日通うことなど微塵も感じさせない力強さがあった。

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