私はリビングでくつろいでいた。ペルシャ絨毯にうつ伏せで寝ころび、手にはパンフレットを持ち、両肘で上体を起こして支えながらその紙を眺めていた。傾き始めた午後の陽射しが、レースカーテンを通過して部屋をやさしい光で満たした。時の流れが遅い。約2年間に及ぶ中学受験戦争に終止符を打った今、彼は穏やかな解放感に浸っていた。
解放感とは、重荷を背負わないと感じることができない感覚。両肩にかかっていた負荷がなくなり、体が軽く感じられる。中学受験は苦しいものだった。塾の仲間と過ごす時間の中にも楽しさを見出していたものの、勉強に費やした時間は、学校の友達と遊ぶために使いたいと常々思っていた。試験最終日程の最終科目が終わったその瞬間こそが、解き放たれる感覚の最高潮だっただろうが、その瞬間のことは覚えていない。
入学試験監督は前方にそびえ立つ「教壇」と呼ばれる城のてっぺんに着席し、我々を見下ろしていた。開始の合図を皮切りに、共に研鑽の日々を送った仲間たちと一斉に攻撃を仕掛けたが、敵陣の仕掛けた数々の罠によって動けなくなる兵士もいた。私も次々と襲ってくる敵駒と刀を交わらせ、時には致命傷を受けた。戦国の世、次々と戦に足を運ぶうちに、遂に力尽き地面に伏してしまった。
目を覚まして起き上がり周囲を見ると、激闘の名残があった。空は、人間のいざこざなど気にも留めない様子で、澄み渡る青色が眩しかった。散乱する残骸のすき間からはすでに小さな植物の新芽が顔を覗かせた。静けさのため、遠くの小鳥のさえずりがよく聞こえた。
小学生の脳内では、これくらい壮大なイマジネーションを膨らませられるほどの出来事だった。
リビングでくつろぎながら見ていたパンフレットの内容は、もうすぐ入学する中学校の部活紹介、ではなく、腕時計のカタログだ。中学進学祝いを兼ねて、彼のお父さんが腕時計を買ってあげようと提案したのだ。かく言う父の腕時計は、学生時代から身に付けているものだそうだ。リストバンドの部分は、電子マネー決済対応のハイテクなものに取り替わっているが、文字盤の部分はずっと変わらない。
カタログにはG-SHOCKと呼ばれる時計が並んでいた。ゴツゴツとした男らしい見た目だ。かっこいいと思った。めちゃくちゃ丈夫らしい。一定の高さから落としても壊れないくらいのタフネスを備えているのだと、イラストが訴える。これだけ頑丈なら、一生ものとして使えるだろう。さらに、せっかく長く使うならば、と私は少し高額な部類の登山家用デジタルタイプをねだった。アナログ腕時計の竜頭に値する位置には、代わりに丸い形のボタンが付いている。そのボタンを押せば、気温、気圧、そして標高を表示させられる。気圧と標高を時間経過と共に線グラフに記録する機能があり、天気予報や標高推移が視覚的にわかる。他県の中学校への道のりでは、自力で天気を予測し、標高の記録を迫られるような過酷な状況は決して訪れないだろう。チョモランマやアマゾンを進むくらいでようやく真価が発揮される。茨城県への電車通学にはとても釣り合わない代物だ。しかし、12歳児にとっては県境を跨ぐだけでも小旅行なのもまた確かである。
数日後、私は宅配便で届いた品を左手首につけていた。中学ゼロ年生の細い腕に高機能登山用腕時計が巻かれた様子は、互いが比較対象となり、余計にアンバランスだった。
中学校生活に慣れ始めた頃のある日、1時限目に講堂で頭の明るい校長先生のありがたいお話を聞き終わった後、私たちは担任の先生を先頭に列を成してそれぞれの教室に向かっていた。各々の座席に戻り、あと5分で始まる次の授業に向けて教科書を取りにロッカーを行き来する者、束の間の雑談を楽しむ者、様々だ。騒がしい教室の中で、私は数秒前に気付いたある事実を受け入れられないでいた。
左手についているはずの腕時計がない。大変だ。いい時計なのに。一生を共に過ごすつもりだったものをこんなにも早く亡くしてしまうなんて。
物を失くした時には、最後にそれを見た場所と時間を思い出す。確かに朝方はつけていた。登校中、駅の電光掲示板に点滅する列車の発車時刻と、手元の数字とを何度も見比べたのを覚えている。そうだ、思い出した。
私は時計があまりにもゴツいので、座っている時などははずす癖があった。時計と肌の間が汗ばむのも慣れなかった。きっと講堂に忘れてきたに違いない。すぐに担任の山田先生に事の顛末を話して、2時間目の数学が終わったら休み時間に先生と探しに行くことになった。
講堂へ向かう階段を足早に上りながら、先生が
「どうして腕時計をはずしたの?」
と聞いた。
「手首が締め付けられる感じがして嫌なんです。はずしたら付けていたところに跡が付いてるんです。」
先生は腑に落ちない様子で、返答は濁したまま私が講堂で座っていた辺りを探してくれた。
見つけた。先生に、ありましたと伝えて、そのままズボンのポケットに入れて講堂を出た。
何かを深く知るためには、その道に通ずる人物に話を聞くのが一番効率的ではないだろうか。受験勉強や定期試験対策みたいに一人で机に向かうよりも楽しい。
大学に入って、釣り好きの友人ができた。かずきと言う。彼の釣りに数回同行しただけで、気分は釣り名人である。気付いた頃には一張羅の釣り道具が揃っていた。わからないことがあれば、彼に聞けばいい。優柔不断な心の持ち主が、マイロッドなぞ買おうものなら、インターネットでフィッシングブランドの種類やそれぞれの特徴から調べるところから始まる。
釣竿は狙う魚によって変わってくるのだと。果たして私は何を釣りたいんだ?この疑問を解決するためには、生きもの図鑑を読む必要がある。
「この魚かっこいいなあ、でも美味しいのか? うーん。」
「わぁ、これは華やかな色だけど、毒があるのか、食べたら死んじゃうなあ。」
「釣れたとしても、自分でさばけるかなあ。」
「お、これなんかは『刺身で食すと格別』だって、でも今真夏なんだよなあ。」
etc.
釣りたい魚が決まらなければ、道具も決まらない。
かずきに聞けば一発だ。
「おすすめの釣竿ある?」
「おすすめ?…クロダイやメジナは釣り応えあって楽しいし、食べても美味しい。もし狙うならこの釣り竿があれば問題ないよ。」
そう言ってAmazonの商品リンクを送ってくれる。
至極簡潔で要点が詰まったコメントだ。いただいたリンクを踏んで、数回クリックすれば、終わりだ。
気楽に会話をしているだけで自然と専門知識が頭に入ってくる。これは「双方向対話型授業」ではないか。先生と生徒が積極的に交流することで高い学習効果が期待できる理想的な授業形態の一つだ。
インターネットは検索バーに言葉を打ち込むだけで膨大な情報が得られるが、その情報量の多さが裏目となり、特に決断力に欠ける人間にとっては返って決断を遅めかねない。インターネットとは似て非なるニューロンによって構築された脳みそが一瞬で最適解をはじき出してくれる。無論、友人を単なる道具と見なしているわけではない。人にものを教えるというのは教える側にとっても幸せなことだと考える。少なくとも私はそう感じる。
釣りの楽しさは、魚が餌に食いつく瞬間だけではない。釣り場に向かうまでの車中も楽しい。音楽をかけて森羅万象を話す。音楽の趣向が合わない時は誰かが妥協する。
その日は三人で堤防釣りをした。夏の気温と蒸し暑さが体力を削る中、日が沈みかけた頃、クロダイが獲れた。並のサイズと言ったところだ。太陽が地平線に触れると、暗くなるまであっという間だ。ヘッドライトを装着・点灯して釣り道具を片付けると一気に疲れが出始める。釣果が少ない時は、この疲れがひどく体に堪える。釣果の満足感と疲労感が打ち消し合って、±0くらいだ。車に乗り込み、帰路に着いた。
釣り場を離れて数分後、満月が海面に写るとこんなにも明るいのか、と話していた時、いつも通り左手にいるはずのG-SHOCKがいないことに気付いた。座席の下や後部座席の床を手で探ってみたが、見当たらない。
「ごめん、時計失くしたみたい。車ん中にはないみたいだから、釣り場をさがしてもいい?」
急いで引き返してもらって堤防と駐車スペースを二人にも探してもらったが、見つからなかった。
今もどこかに転がっているのかと思うと、なんだか可哀そうだ。G-SHOCKなら雨に打たれてもずっと時を刻んでいるのだろう。大事なものを失うことなどめったにないので、この悲しみも一つの感情として受け入れればいいと思うところだが、なかなかそれも容易なことではない。
以上、文章を読んでもらえる喜びと悲しみが打ち消し合って±0くらいにするために、亡くなったG-SHOCKに捧ぐエッセイでした。