アメよりムチ

「不要不急の外出は控えてください。」

「今夜から明日未明にかけて、台風通過による悪天候が予想されます。関東甲信越地方にお住まいの方はお気をつけ下さい。」

注意喚起を受けて、台風上陸前日のイトーヨーカ堂はやや混雑する。食糧や日用品の買い物を済ませようと、商品棚が並ぶ通路をショッピングカートがそれぞれの望む商品を求めて行き交う。買い物が終わったら、さっさと帰宅してベランダにあるものが飛んでいかないように家の中に避難させる。小学生くらいの頃は、これらの作業を手伝いながら妙にワクワクしてしまう。自然災害は深刻な被害を起こすことは承知だが、非日常的な自然現象との遭遇とも言える。家族で夕飯を囲む傍ら、ニュース番組が流れるテレビ画面の前に植木鉢が並ぶ。家中の生き物が一つ屋根の下に集合して、来たる大自然の脅威に対して身を寄せ合っているようだった。

食器を片し、お風呂を済ませて寝床に着く。風が窓に当たる音を感じているうちに、眠りに落ちる。朝日が昇った頃には、警報が嘘だったかのような台風一過の青空が何食わぬ顔して広がる。

コロナ自粛期間は毎日警報が発令されているようなものだ。対象区域は全国どころか全世界、期間は一晩と言わず、何ヶ月も。気づけば2020年も半分が過ぎた。あまりの長さに、もはや日常となった。不謹慎なワクワク感もない。

ひとりで過ごすのを苦と感じない部類だと自分のことを思っていた。しかし、人と顔を合わせて話す機会が絶たれると、人と過ごしていた時間が案外多いことがわかった。ひとりの時間は人と過ごす時間をより充実させるために、準備を整えていたのだ。

外出する理由を失った私は歩数計の推移をグラフの地に這わせていた。体が地面に対して垂直な時間よりも平行な時間の方が長かった。

 就活アプリに登録してプロフィールを公開するとスカウトという形で企業からメッセージが来ることがある。私が示した志望業界とは程遠い業界からスカウトがたくさん来る。本当に登録者のプロフィールに目を通してから判断しているのか、それとも無差別に定型文を送っているのかはわからない。あなたのこの部分がこういう理由で面白いと書かれていると気持ちのこもったメッセージだと感じる。そのような企業は少ない。気が付けば、図らずも学生の志望動機を読む人事側になった気分になる。その中で、ある会社に当ブログについて触れられた上で、長期インターンシップに参加しないかと誘われ、初めてのオンライン面接をすることになった。

スマートフォンの内カメラで、ワイシャツにネクタイを締めた上半身だけを映した。散髪を久しくしていないので、前髪を下ろすと目が隠れる。横に分けた結果、見事な茄子になった。

自室は散らかっているので、唯一背景として使えるのはベッド横の真っ白な壁だ。ベッドの上に座って自撮りのポーズをして面接が始まった。

開始早々、面接官に

「友達感覚でお話ししましょう。」

と声をかけていただいた。リラックスを促すつもりで気を利かせてもらったのだろうが、その言葉に少々戸惑ってしまった。

「そう?わかった。じゃよろしく。」

なんて言ったらフランクすぎる。はたまた言葉使いが固いままだと親近感のない人物として映ってしまう。結果的に、私は少し姿勢をくずし、相槌などを多めにすることにした。会社説明に時々質疑応答を交えながら進んでいく。解説の随所で疑問点はあるかと問われても、特にないとしか答えられなかった。バナー広告についてどう思うか、という問いに対して、「邪魔」という否定的な言葉を使ってしまったのはよろしくなかった。相手方の顔が映る画面がわずかにフリーズしたのか、本人の表情が実際に固まったのかは区別が付かなかった。

「結果は来週中に連絡いたします。」

と言われたが、その企業からメッセージが来ることはついになかった。反省点はたくさんある。怠惰な生活による準備不足に加えて、スカウトされたんだという慢心。

これからビデオ通話をする機会は確実に増える。自室を断捨離・整理しようと思い立った。積み重なった本や小物を仕分けて、ベッド下に格納した。凸凹の空間が一掃され、2倍くらい広くなった気がする。作業用デスクも使えるようになり、格段に進捗を生みやすくなった。

トムとジェリーの世界では、ジェリーにフォークでお尻を突かれたトムは悲痛の叫びを上げながら物凄い勢いで飛び上がる。次のカットでは、天井に空いたトム型の穴が映し出される。

ご褒美や達成感と言った正の感情で己を持ち上げる力よりも、痛み、悲しみ、悔しさなどの負の感情によって押し上げられる力の方が瞬間的なベクトルは大きいのかもしれない。

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