「今日はチャパティを作ってくれてありがとう。今度寿司でも食べに行こうよ。」
「ごめんね、僕は魚が好きだから、行きたくない。」
ルクセンブルク大学は、12月下旬から1月上旬にかけて授業がない。ヨーロッパ各地から集まった学生達は、家族の元へ帰り、のんびりとクリスマスを過ごす。また、1月の中・下旬は、試験期間として扱われる。各講義の期末試験が行われるので、やはり授業はない。つまり、1ヶ月半の間学校はお休みとなる。
帰る実家も近くになく、試験科目が2つしかない日本人留学生にとってはあまりにも長い休暇だ。1ヶ月半も与えられても、ずっと勉強していられるほど勤勉ではない。たった2つの試験のために1ヶ月もの時間を費やすのは贅沢すぎる。そんなことより、昼夜逆転生活に陥るのが目に見えている。「今日は好きに過ごして、明日から集中して試験勉強をやろう」と考えているうちに、試験前日の朝、睡眠不足からくる頭痛に目を顰めながら、寝床から無理やり体を起こすことになる。なぜか高校の授業で習った数学的帰納法が脳裏を過る。
私はGoogle Mapの検索バーに bartender school near meと入力してみた。パリに1つ赤いピンが立った。European Bartender Schoolという名前で、世界中に校舎がある、名の知れた組織らしい。ただの売り文句ではないかと疑いつつ、コーススケジュールを確認した。1月を丸々使った英語開講コースがあるようだ。勢いに乗って資料請求、入金まで滞りなく進めた。
そこで仲良くなったインド人の男の子の話をしよう。名前はディパンシュと言う。「光」という意味を持つそうだ。
ある日、彼が寮のキッチンで郷土料理を作ってくれた。そのお礼に、日本料理でも紹介したいと誘ったところ、よくわからない理由で断られてしまった。
「好き、だから食べない」というフレーズは私の耳から入り、脳の言語野まで無事に到達したが、私の脳内コーパスは「好き」と「食べない」を順接の接続詞でつなぐことに拒絶反応を起こした。パチッと火花を散らしてショートする音が聞こえた気がした。
秒数にしてみれば0.1秒にも満たない思考停止状態だったが、それは直ちに顔面にも反映されたようだ。ディパンシュはそんな私を見て、次のような例え話をしてくれた。
「花が好きな人は、自分の庭に生えている花を摘み取ったりしないだろう?それと同じで、僕は魚が好きだから捕って食べたりしないんだ。」
これには感心した。釣りもしないのかと尋ねたら、しないと言う。
彼の信仰しているヒンドゥー教の考え方が垣間見えた気がした。
好きなものは食べる、嫌いなものは食べないという判断基準しか知らない人間にはある種の衝撃だった。体に良い、悪いという判断基準もあるのは一応知っているが、あまり気にせず生きてきた。随分と動物的で単純な思考回路だ。小学校の給食は嫌いなものまで食べさせられたという負の思い出として残っている。
ディパンシュは新たな評価基準を一つ提案してくれた。その基準を持つためには、大きな視点の転換が必要だ。食べ物を食べ物としてではなく、生き物として捉えることだ。食べ物には全て生命が宿っていたことを忘れてはいけない。道徳的で非常に良い考え方と言える。
ちなみに、私が一番好きな生き物は、キュウリだ。
私はキュウリを愛しているので、食べるなんて以ての外だ。
後記
久しぶりの投稿になりました。ここまで読んで下さりありがとうございます。バーテンダースクールについてはまた詳しく書く予定です。